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OUR STORY

“不便を感じること”が何かを創り出すきっかけになるんです

株式会社サンレーコーポレーション

元代表取締役 宗像 芳一

代表取締役 宗像 芳一

Story 1

世界的特許製品「CAESAR-FLIP 2」誕生

初代『CAESAR-FLIP』を開発する前の市場に、跳ね上げサングラスはあったのですが、どうも見た目がカッコ良くなかったので、何とか改良したいと考えました。そこで、リベット式の初代『CAESAR-FLIP』ができ上がったのです。これは今でも海外ブランドのOEMとして販売しています。

初代『CAESAR-FLIP』

見た目は随分と良くなりましたが、レンズ交換ができず、それぞれの小売店でレンズ加工ができませんでした。さらに利便性を追求するには、レンズ交換ができることが重要な課題でした。開発にあたって思案したポイントは、レンズの形状は決まっているし、そこにどうやって偏光サングラスレンズを取り付けるか、ということでした。
一つは、ずり落ちない多段式であること。もう一つは、小売店の現場で加工・取り付けできる脱着式であること。その悩みを解決するヒントが、鮎釣りの囮缶(おとりかん)にあったのです。この造りから多段式の形状がひらめいて、早速、自分で図面を引いて、鯖江の技術者に依頼し、『CAESAR-FLIP 2』が誕生したのです。

 

さらに改良を重ね、『CAESAR-FLIP 2』は世界的特許を取得しました。多段式のフレームを細くして、かつ3段階にきちんと留まるという現在の品質にするまではなかなか苦心しましたが、それこそ物づくりの醍醐味。”不便を感じること”から、どうすればクリアできるのか。常に考えることが新しい何かを創り出すきっかけになるのですね。

Story 2

日本のメガネ&レンズ業界への思い

継続して改善・改良を重ねていく日本人の開発力を守っていきたい

世界に誇る“チームジャパン”としての役割

代表取締役 宗像 芳一

大阪は、メガネレンズ発祥の地です。50年ほど前は、大阪にも数え切れないくらいのメガネの部品などを生産する工場があったんですよ。鯖江はたくさんの技術者が大阪から行って、今ではメガネの一大産地になりました。

メガネ一つ出来上がるまでには、多くの生産過程があります。部品も専門工場ですべて分業制でした。はんだ付け一つ取っても、素材が変わると技術も変わってきて、機械の扱い方も違います。それが高齢化で職人が引退していき、技術の伝承が失われていきました。

 

海外では、24時間機械が自動でフレームを造っているメーカーもあります。それでは均一的でおもしろくない。大量に造られた物は、あとは価格競争になって、メガネの市場価値を下げるだけ。

メガネの技術者が技術を伝承し、産業として成り立っていくにはどうすれば良いかを考え、チャレンジし続けていかなければなりません。

CAESAR-FLIP II

海外の技術者と比べてみても、日本人は忍耐強く、継続して改善改良を重ねていく開発力があります。

“チームジャパン”として、業界と今残っている技術者達が手を取り合い、世界に誇れる物づくりの技術やメガネへの思いを守っていかなければならないという使命があると思っています。

Story 3

人生を変えた出会い

メガネは私の人生そのもの。今後は社会貢献をしていきたい。

イタリア留学から商社への道

20歳の時、英語が苦手だったので、違う言語を学びたいとイタリアに留学しました。ファッションの都・イタリアでの日々はとても楽しかったのですが、留学中に父が亡くなり、資金繰りも大変になって帰国しました。

その頃、留学時代の友人がイタリアから、皮革製品の販売で来日しました。一緒に大阪を訪れた際、友人と交流のあった貿易商社が商品よりも私自身に興味を持ち、「一度うちの会社を訪問しないか?」と言って、私の住んでいる横浜から大阪までの交通費を送金してくれました。まだ20代前半で、いろいろなことを経験したい年頃ですから、全く就職するつもりは無かったのですが、一度お話しを聞いてみようと大阪を訪れました。ですが直接、社長と会ってみると、その人柄に感銘を受けて、その場で入社を決めました。

人生を変えた出会い

社長との出会いから、社会人として様々なことを経験する怒濤の日々が始まりました。入社1年目でニューヨークに駐在、帰国後は輸入担当となり、欧州各国へ服飾品の買い付けに行ったり、のちに大ヒットとなったアメリカのコンバースシューズを輸入したり、大手スポーツ店経由で国内各地の販売に飛び回っていました。在社5年間で、いろんな業種に携わり、たくさんの人達と出会えたことは、その後の人生にとって、何ものにも代え難い経験になりました。

商社マンとして、人とのつながりを結ぶ

起業するきっかけは、商社でお世話になった社長が退任されることでした。顧客も何も持って出なかった独立は、全く一からのスタートでした。初年度はもちろん赤字です(笑)。顧客を得るために寝る間も惜しんで必死で営業に回りました。

 

イタリア製レンズ加工機械を扱える技術者として仕事を依頼されたことが転機になりました。

この出会いもその後の人生に大きな影響を与えてくれましたね。知識は勉強すれば身につきますが、商売の基本は、“人とのつながり”です。それを常に大事にしてきたことが、私の人生と、今のサンレーコーポレーションにつながっています。

商社マンとして、これまで走り続けてきて、これからも何もしないのは性格上無理ですから、生涯現役で、物づくりを楽しんで、メガネ業界から社会に貢献をしていきたいと思っています。

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